陸軍歩兵第四十一聯隊跡地

広大な現緑町公園は元々国有地であります。戦後は広島大学キャンパスとなりました。

 福山市が焼け野原となり焼け残った兵舎二十数棟を、税務署・財務局・拘置所・国立病院・福山市立第3中学校(現城南中学校)等々二十余りの学校・官公署が雑居していました。

 正門左手には拘置所がありました。裁判所に行く囚人の列と登校してきた生徒とが正門の所で行き違い、かち合う光景にも出会っておりました。

 兵舎を教室として使用しておりました。軍隊の内務班の銃架の残っている教室もありました。地上から床板までの高さが非常に高く、又、床板の厚さは丈夫そのもの分厚く、板といたとの間に細長い穴の空間があり、掃除の時などその細長い穴に足を取られたり椅子の脚にひっかかっていました。冬場には、床下から風が吹き上げてきますので、女子生徒は小さな座布団を持参し、座布団を使って正座の状態で授業を受けていました。また、学用品等小物が穴からよく落ちていました。落ちても床下への入り口が見つからず、落とした生徒の落とし損でした。その時の友人の残念そうな顔が鮮明に今でも目の当たりを横切ります。卒業を迎えても入り口の有無は謎のままでした。 

 陸軍病院が西側にありました関係上、(後の国立病院)傷病兵の方々が看護師の方たちの手や肩を借り、東へ向けて直線道路が通っていましたその道を散歩道に夕方3時頃から散策を楽しんでおられました。ある傷病兵の方は足を失われ、残っているもう一方の足に、暑い夏でも脚絆をしっかり付けられ、又別の傷病兵の片手を負傷しておられるお姿等々に度々接しておりました。私たち生徒はその方々のお姿に涙しながら平和を願う気持ちで後姿を送っていました。