福山護国神社跡
福山市体育館のあるこの辺りは、戦争中「福山護国神社」がありました。戦時中、芦田川が流れていたこの場所に護国神社を立てることになり、多くの市民が奉仕作業に駆り出され、中学生も参加させられました。左下の写真は、旧芦田川堤防を撤去するため、トロッコで土砂を搬出作業する盈進工業学校の生徒です。
福山空襲で、完成間近の本殿は焼失し、残ったのは参道にかかっていた「神橋」です。橋の中央にはへこんだところがあり、焼夷弾が当たった跡だと言われています。
戦後、福山城の北側に「備後護国神社」という名前で新しく建てられました。その鳥居は、元は「福山護国神社」にあったものを移設しました。